ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス 心の傘ひらき
大人は見えない しゃかりきコロンブス 夢の島まではさがせない
パラダイス銀河
「やってしまった・・・・」
電光掲示板は真っ黒になり、
ホームレスのダンボールハウスと、
巡回する警備員、それから通行人しかいなくなった、駅。
無常にも『本日は発売終了』と札の下ろされた自動発券機の前に、
意味も無く佇んでしまった、。
新しい小説を買って、あまりの読みたさに、
そこらに合ったカフェに入って、読み出した。
カフェ閉店の時間帯に出れば、充分間に合うと思ったのに。
「まさか、深夜営業の店だったなんて・・・・」
時間を忘れて読書に耽り、気付けばもう午前1時前。
は、終電を逃してしまったのだ。
宿として使っているホテルのある、ターミナル駅までは、2駅。
歩いて帰れぬ距離では無い。
しかし今日のの足元は、買ったばかりの履き慣れぬミュール。
これで2駅も歩けば、明日には確実に、筋肉痛と靴ずれに襲われるだろう。
それなら、タクシーを捕まえれば良い。
だが、さすがの金曜深夜とでも言うべきか、
通りを走るそれらしい車は、『空車』のランプは見当たらない。
駅に直結するタクシー乗り場を見ても、芋洗い並の人の列。
明日は土曜。予定はあるが、仕事は休み。
幸い、多少のオシャレもしてきている、荷物も少ない。
「・・・・よし、仕方ない!徹夜しますか!」
は、久々の夜遊びを決めた。
フェザーンにいた1年間は、同僚や仕事上の知り合いの付き合いで、
多いときは週1度ペースで、夜の街を歩いた。
バー、クラブ、ショーステージ、娯楽好きなフェザーンの土地柄か、
場所にも随員にも苦労せず、むしろ半ば無理矢理連れて行かれた事の方が多い。
だが、自分から夜遊びを決めたのは、にはこれが初めて。
昼のオーディンの、カフェや喫茶店にはかなり詳しいでも、
夜のオーディンは、正直勝手が解らない。
夜遊ぶには場所の選定に、かなりの気を配らなければならないのだ。
初見で入ってしまった店が、実は麻薬の取引場であったり、
見た目に惹かれて入ってしまった店が、実は女性が身を売る場であったり。
フェザーンで経験した、多少のハプニングは、の店選びを慎重にさせる。
そして、駅から3分も歩かず、早速は、その目に適う1軒を発見した。
壁、床、天井、四方を赤く塗られ、地下に続く階段。
赤い壁には多くのイベントフライヤーと、それを超える多くの落書き。
階段下からは横隔膜を揺らすベース音が漏れ、その選曲も悪くない。
何より出入りする客層が多種多様であったのが決め手となって、
(例えば中年男性しか出入りしない店や、
逆に若年層しか見られない店は、危険な事が多いのだとフェザーンで学んだ)
はその赤い階段を、地下へと進んで行った。
________
爆音と言ってよい音量で、鼓膜と横隔膜を刺激し、
金曜の深夜らしい空間の振動を見せる店内の、隅に位置するDJブース。
ビッテンフェルトはブースのカウンターにもたれかかり、
グラスを空けつつ、ブース内で黒い円盤を回す友人と、会話に花を咲かせていた。
「卿はやはり、すごいな!卿の名前で客が来る!」
大音量で爆発するスピーカーの近くでも、
ビッテンフェルトと、その友人は、会話の進行に苦労はしない。
DJという職業は、爆音の中での人声の聞き取りに慣れているし、
また戦艦を乗りこなす軍人という職業も、
音楽ではないが、爆発音の中での人声のやりとりは得意である。
「これは金曜だからさ。回すのが俺でなくても、客は来ていたよ」
「謙遜するな!俺は金曜だからでなく、卿だから来たんだ」
「・・・・お前は相変わらずだな、ビッテンフェルト。
その様子だと、まだ女の1人もいないのだろう?」
「ど、どういう意味だ!」
「友達を大事にしすぎる奴は、女にモテないって事さ。
どうだ?大佐様は久々の凱旋だろ、フロアの女神を、ナンパでもして来いよ」
「俺は目が高いのだ!女はいないのではなく作らない。
悪いがここには、俺の目に留まる女神は、」
いないようだな、と言いかけて、ビッテンフェルトの舌が止まった。
何気なく見遣った鉄製ドア。
重そうに開かれるのを、屈強なセキリュティマンが助けた。
原色のライトが踊り狂い、ひしめく人々がフロア全体を揺るがす。
ドアが開いて、入って来たのは、
ベースに揺れる銀の髪、遠目でも解る銀の瞳。
「・・・・女神、発見だ」
言うが早いか、ビッテンフェルトはDJブースから飛び降り、
人波を掻き分けて、ドアの方へ進んで行った。
「ブロージット!幸運を祈る」
友人が、走り去る背中に向けて投げ放った一言は、
ビッテンフェルトの耳には届かなかった。
「!」
やっとのことで人垣を乗り越え、ビッテンフェルトは彼女の名を呼んだ。
大出力のスピーカーに、その声は一瞬、掻き消されそうになったが、
辛うじて彼女の鼓膜に届いたらしい。
銀色の視線がゆっくりと移動してビッテンフェルトを捕らえたとき、
彼女は驚いた顔をして、それに向き合った。
「ビッテンフェルト!・・・・すごい、偶然!オーディンて案外狭いんだ」
若いピアノのような声が、大音量をぬってビッテンフェルトの鼓膜に届く。
「卿、何でこんな所に?誰かと一緒か?」
言った途中でビッテンフェルトは、が、話す自分にわざわざ近づいている事、
そして彼女は、自分の声を聞き取り難いであろう事に、気付いた。
そういえばは、軍に名を馳せる諜報局の副総監大将閣下ではあるが、
自分と同じ戦艦乗りでも、ましてやDJでもない。
最大量で流れる音の中で、人声を聞き取るのが難しいのだ。
ビッテンフェルトは、内緒話をするように、
の耳に、顔を近づけて話すようにした。
空気を叩くベース音とは、また違ったリズムで、
自分の心臓が脈打つことに自覚せざるをえないが。
耳元でも煩くない音量、囁きに近い声で、に話しかける。
「・・・・何で、ここに?誰かと一緒か?」
話し終わると、今度はが、耳打ちに近い体勢で、ビッテンフェルトに顔を近づけた。
は自分が声を聞き取れないので、相手も同じと気遣ったのだろう。
本来ビッテンフェルトはそんな事をされなくても、全く問題は無い。
だがあまりに自然に、が顔を寄せたので、
つい無意識に、ビッテンフェルトもそれに対応してしまった。
の背も低いほうでは無いが、長身なビッテンフェルトの耳の高さには少々及ばず、
ビッテンフェルトが少し屈む体勢になる。
「ううん、一人、終電逃しちゃったんだ」
話すの口が、耳に触れそうなくらい近い。吐息がかかる。
調子の狂った自分の鼓動。
まさか悟られはしないだろうか。この爆音の中で。
ビッテンフェルトも一人?ここにはよく来るの?と、が続けたので、
ビッテンフェルトはまた、先程のように口をの耳元へ持っていった。
「俺も一人だ。普段はここはあまり来ないんだが、今日は俺の友達がメインDJだから」
「友達?今、回してる人?」
「ああ。」
耳元と耳元で、囁きあうような会話が重ねられる。
絞った声のボリュームに、反比例するように上昇した脈拍と心拍数。
薄暗くて良かった。俺は今、顔が赤くなっている気がする。
「上手いね、みんなを乗せてる。初心者のあたしでも解るよ」
「初心者?初めてなのか?」
「フェザーンではかなり連れて行かれたけど、
オーディンで、しかも一人では初めて・・・・でも、良かった!」
「そうだな、あいつが回してる日に入るなんて」
「違う、そうじゃなくてね?」
の顔が、一旦離れて、ビッテンフェルトと向き合う。
本来、銀色であるその瞳は、踊り狂う原色のライトを受けて、様々な色に輝いている。
星のようだと、柄にも無くビッテンフェルトは思った。
そしてその星を、更に輝かせる一言を、彼女は伝えた。耳元に近づいて。
「そうじゃなくて、今日ビッテンフェルトに会えて、良かったんだよ」
店内全ての音楽が、一瞬消え去ったかのような、
錯覚。
そして代わりに自分の心臓が、耳元で最大の鼓動を打ち鳴らす。
まさかあんな量で。もう早、酔い始めたのか、俺は。
彼女の声と、自分の鼓動しか、聞こえないなんて。
こういうところの先駆者に会えて良かった、一人だと不安だから、と、
彼女が言ったのを聞いて、やっと耳がベース音を聞き取り始めた。
当然ながらやはり、音楽が消えたのは、ビッテンフェルトの錯覚だったようだ。
店内の人々は、つい30秒前と変わらぬ、ハイビートを保っていた。
「あ・・・・ああ、そうか」
情けないが、それしか言葉に出来なかった。何か、音が、煩くて。
それは流れる音楽か、
それとも自分の心音か。
客達はその音とアルコールに酔い、店内は真夏の暑さを醸している。
室温を上げるその人数は、
金曜深夜ということも、著名なDJがメインということもあったが、
今日は月に1度の、あるイベントの日でもあり、それが更に室温上昇に拍車をかけている。
多少アルコールを入れて、煩い鼓動を追いやったビッテンフェルトは、
へ、ある不安を見出していた。そうだ、今日はイベントの日だったか。
「卿、今日ここは初めてだと言っていたよな?」
「うん?そうだけど?」
「では・・・・着替えなんて、持ってきてないよな?」
「え?!何で?持ってないよ?」
今日はイベントがあって・・・・と、ビッテンフェルトが説明を始めた途端。
『Guten Tag!!!そろそろ始まる時間だぞ!』
音楽を遮断するほどの、大音量のアナウンスが入り、
客が歓声を上げて、総立ちになった。
曲も突然切り替わる、背骨に響く重低音に。
先ほどまで原色をちりばめていた店内のライトが、
全て、ブラックライトに切り替わった。
「な、何!イベント!?」
「もう時間か!あークソっ!仕方ない、行くぞ!着替えは俺のを貸す!」
ビッテンフェルトはを連れて、ドアの近くからフロアに進む。
「何なの!?何が始まるの!?」
歓声を上げる人々の群れに割り入る。
人を掻き分けながら、ビッテンフェルトはに説明を付け足そうと、
「この店では月に1回、」
言った半ば、
店内の天井のあらゆる所から、ばちん、とゴムを弾くような断絶音。
次の瞬間。
大量の酒が、スプリンクラーから放出された。
どしゃぶりの雨のように降り注ぐアルコール。
スプリンクラーは回転式で、中心から店の隅まで全ての場所に降り注ぐ。
またそれだけではなく、従業員はカウンターに立ち上がって、
酒瓶を振り回し、人々の頭上にそれを浴びせかける。
客はその酒に、そして音楽に、最高潮の喚声を上げた。
「っは!あはは・・・・!」
「す、すまん!つい、連れてきてしまった!卿の了承も得ずに、」
「何、これ!これがイベント!っあはは!」
見遣るとは、既に全身を水びたしならぬ、酒びたしにして、
銀色の絹糸のような髪は、含んだ水分で頬に張り付いている。
もう、笑うしかない、といった風情だった。
天井から雨のように降る酒は細かい水滴となって、
空気に気化し、酒自体を飲まずとも、充分に酒気を回らせる。
笑いが止まらない所を見ると、は多少酔い始めているのだろうか。
「本当にすまん!後で俺の着替えを貸すから!」
説得力が無いと、ビッテンフェルトは自覚している。
謝る自分自身、もう髪から下着まで酒まみれだ。
「あはは!いいよもう!」
何度か既に見た、柔らかで陽光のような笑顔では無く、
初めて見る、自らを解放しきった花火のような、の笑顔。
気化した酒を吸い込んだのだろう、
は暖かく華奢な手指で、ビッテンフェルトの骨ばった手首を掴み、
「こうなったらもう、状況楽しむしかないもんね!」
ビッテンフェルトを、フロアの中心まで引っ張りだした。踊っちゃおうよ!
「・・・・そうだな!もう、楽しむしかない!」
自分の手首を握る細い指に、ビッテンフェルトも迎合した。
弾ける花火のような彼女の笑顔に、何をどうして拒めるものか。
相変わらず心音が煩くて、音楽は殆ど聞こえない。
でもが笑っている、それだけでもう充分だ。
ハレーションを起こして点滅するブラックライトに、
の白いスカートと、ビッテンフェルトの白いスニーカーが、光って浮かび上がる。
二人はフロアの最深、最高潮の津波に。
飲み込まれていく。
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