呼吸をとめて1秒
あなた真剣な目をしたから
タッチ!
コの字型の旧館の真ん中に位置する、広い仕官食堂には、
民間業者に経営を委託された購買も併設されている。
休日残留の兵士や、警衛、演習の兵士のために、
24時間営業し品数も豊富に揃えたその購買は、さすがは民間企業といったところか。
昨日の快晴を引き続き、良く晴れた月曜の昼休み。
は購買で昼食用のパンと飲み物を買い、
日の当たる裏庭のベンチに、腰を落ち着けていた。
久々に仕官食堂の味が懐かしくも思い、
今日の昼は食堂にしようかとも思ってはいたが、
が食堂の入り口をくぐった途端、仕官たちの目線が痛かったのだ。
銀髪に銀の瞳の組み合わせは珍しいし、
自分ほど若い将官(しかも階級章は大将だ)もほとんどいない。
フェザーンや地方で任に就くことが多く、本営に帰ってくるのは年に何度か。
きっとここの仕官は自分が珍しいのだろう。
は自らの外見の魅力を自覚できぬまま、
ただ好奇と興味の視線から逃げるためだけに裏庭に来て、
買って来たパンの袋を開けた。
程よく日陰になったベンチは、それでも木漏れ日から紫外線を免れない。
一体いつになったら本営の仕官たちに興味を持たれず、
悠々と仕官食堂で食事ができる日が来るのだろうか。
そんな日を待ち続けて、ずっと裏庭で食事をすることになったら。
「・・・・日に焼けちゃうじゃない」
「閣下は日焼けをご懸念なさっておいでですか」
ベンチの後ろから、を包む背の高い影ができて、
気にしていた紫外線が一瞬、遮られた。
突然の声と日陰に、驚いて顔を上げる。
「ミュラーさん!」
影を作って逆光になった、砂色の髪と砂色の瞳が、
優しげな光を湛えて、を見下ろしていた。
「小官の作った影で良ければどうぞお入りになって下さい」
少しおどけた表情で、ベンチの背もたれの後ろに立って、
ミュラーは、に降り注ぐ日差しを遮る影を作った。
「ふふ、ありがとう。でもいいの、今年は諦めて色黒になる」
ひさし役を降りて、話し相手役に替わりませんか、と、
はベンチの少し右側に移動して、ミュラーのための場所を作った。
ミュラーは謹んでそれを受け、二人は木漏れ日の作るまだらの光を浴びた。
「食堂でお食事をなさらないのですか?あそこは一応室内で、影がある」
見ればミュラーの手にも、買って来たらしい昼食の袋と、
それから1冊の文庫本があった。
見かけによらず大きな掌に包まれて、その題名は読めない。
「食堂はちょっと障りがあるんです。ミュラーさんは?日向ぼっこ?」
「天気が良いですからそう言いたいのですが、実は小官も、食堂には障りがあって」
ミュラーは購買の白いビニール袋を開ける。
中身を見て、人は見かけによらぬものらしいと、は思った。
ミュラーはどちらかというと細身の部類に入るだろうに、
内容物の量がの倍以上あった。
そういえば、と仲の良い2人の友も、
その外見から予想に反して、かなりの量の食事をする。
育ち盛りの男の子というのは、みんなこうなのだろうか。
「ミュラーさんにも障りが?ずっと本営勤務なのに、珍しがられるんですか?」
顔かたちの格好良さは、特記すべき所はあるが、
砂色髪と砂色の目は、そこまで希少価値でも無い気が、にはした。
「閣下の障りとは珍しがられる事なのですね」
言ってミュラーは笑う。
はしまった、と自らの口の軽さを懺悔した。
ひとたび諜報という仕事に就けば、話術も行動も、失敗は記憶に無いが、
私事での言動の巧拙は、もっと上達すべきかもしれない。
「小官の障りは、残念ながら違います。
食堂にいると、少し元気すぎる上官が無理矢理サッカーに連れ出すので」
「・・・・もしかしてビッテンフェルト?」
「先日のオーディン杯から、小官の昼休みはサッカー漬けです」
は先週の火曜の夜、盛大に泥酔したオレンジ色の中将に助けられた事を思い出す。
そういえば、その場でなにやらサッカーの真似事をしていた気がする。
「ふふ、だから姿を眩ましているんですね」
どうかこの事はご内密に、と言ってミュラーが微笑んだ。
日差しは木々の合間をぬって、暖かくとミュラーを照らす。
建物の背後に広がる演習場は小規模だが、春の緑が満ち満ちている。
少し強めの風が、の銀色の長い髪と、ミュラーの砂色の前髪を揺らした。
「・・・・僭越ながら閣下、少し相談をさせて頂いてもよろしいでしょうか」
ふいにミュラーが、心持ち深刻な声でに問うた。
「どうしたの?何かあった?私に答えられれば良いけど」
同年代の友達の少ないには、相談を持ちかけられる事は少ない。
会って間もないが温厚で誠実な青年に相談されることで、
心を開ける友人として扱われたような気がして、
は嬉しく思い、ミュラーの言葉に真摯に答えることを決めた。
だが、の決意はミュラーの言葉に、急速に自信を落とした。
「閣下は、恋人のいる人に、恋をしたことはございますか?」
よもや恋の相談だとは。
ミュラーの質問に、誠実に答えたいとは思っていても、
自身、さほど経験値豊かなわけではない。
12歳から今まで、他の同年代が青春として謳歌する10代を、
は軍属として、任務を謳歌して生きてきた。
その軍にまみれた青春中、とて恋人が、いたことが無いわけではない。
だが告白され交際し手を繋ぎ、今までの恋は子供の遊びと変わらない。
本物の恋というものを、経験したことは無いような気がする。
果たしてミュラーの誠に、答えることができるのだろうか。
「・・・・ミュラーさんは、恋をしたのですか?」
情けなくも、質問で返すことしか出来なかった。
「まだ・・・・自分でも解りませんが、心に、小鳥がいるようで」
はミュラーの心の青空に、青い小鳥が飛ぶのを想像した。
快晴の空を、からかうように滑空する小さな青い鳥。
それはきっと素敵で、切なく、詩的な想いなのだろう。
「その人に恋人がいた事を、小鳥は悲しんでるんですか?」
ミュラーの小鳥は、彼の恋をどう思っているのか。
「・・・・解りません。でも、恋人がいると知っても・・・・彼女を想うと、
心が、熱く、羽ばたくようで、」
ミュラーの語調は、いつもの優しく流暢なものから、
単語の一つ一つを区切って、震える言葉を吐き出すものになる。
は先を急がず、丁寧にミュラーの言葉を拾っていった。
「きっと、諦め切れていないのだと、存じます、
私の望みは、叶わないと知っているのに、心が、気持ちが、追うのです」
一人称が小官から私になったことに、ミュラーは気づいていないようだった。
頭上の木漏れ日が風に逆らって揺れ、
小鳥の一群が、春を歌って飛び立った。
陽光はほんの10分前と変わらぬ暖かさを、地上に与えている。
昼休みに相応しい、窓の中から聞こえる話し声、
放送局が館内に流す流行の音楽、演習場でスポーツを楽しむ喧騒。
3階か4階か、開け放たれた窓から白いカーテンが翻った。
「・・・・恋を、止めることは無理だと思う」
は、その少ない自身の経験値と、今まで見聞きした恋の話を総動員させ、
ミュラーの切実な思いに、ぽつりぽつりと意見を編み出した。
「私も経験豊富じゃないけど、恋って、
落ちてしまったらもう止まらないって言うでしょう」
自分の拙い言葉で少しでも、目の前の恋する青年の心が楽になりますように。
「諦められないなら、好きな人の心の席が空くのを待つか、
ちょっと強引だけど席取りに参戦するか、
そうしているうちに、ミュラーさん自身にまた別の小鳥が現れるかもしれない」
人は誰しも、運命の一人という人が、世界のどこかにいるという。
それは歳が離れているかもしれないし、星の真裏に住んでいるかもしれない、
もしかしたら同性かもしれないし、既に結婚しているかもしれない。
だが、運命の一人という、半身が確かに存在して、互いに対になっている。
もしミュラーの小鳥の女性が、今別の誰かを想っていても、
彼女がミュラーの運命の一人であれば、おのずと最後に結ばれる。
恋に限って、縁やめぐり合わせは、必然であるのだ。
「・・・・って、先週見た映画で言ってました。引用で申し訳ないけど」
出来うる限りの言葉に、誠実を乗せて、はミュラーに語った。
経験少なく、気の効いた事を言えない自分を恨めしく想ったが、
ミュラーは砂色の瞳に、少しだけ落ち着いた光を取り戻した。
どうやら、の思いは辛勝ながら伝わったらしい。
「・・・・ありがとうございます、小官などの取るに足らぬ言葉にお答え下さって。
閣下のお陰で、かなり楽になれた思いです」
一人称は、小官に戻っていた。
「いえ、私こそ、もっと気の効いたことが言えれば良かったんだけど」
ミュラーの表情は、会った時と同じ、優しい笑顔に戻っていた。
果たしてどんな人物なのだろう。
この温厚な青年をここまで切実にさせる、小鳥の生みの親とは。
は、興味半分応援半分で、ミュラーに聞いた。
「でも、どんな人なんですか?
ミュラーさんの心を射止めた小鳥は。きっと素敵な人でしょうね」
「・・・・そう、とても素敵な女性です」
ミュラーは砂色の視線を、の銀色の瞳に向けた。
笑った顔が、やはり仔犬に似ていると、は初対面を思い出した。
「笑顔が、可憐に舞い散る桜のようで、」
ミュラーは未だ、視線を逸らさない。
「話す言葉の一つ一つが、私の気持ちを暖める」
一人称が、私になったことに、今度はすら気づかなかった。
ミュラーの瞳が、の瞳を捕らえて、離さない。
「視線が合うと、心が金の針で射抜かれた気分になって、」
未だ目を逸らすことは叶わない。
先ほどまで柔らかい笑顔だったミュラーが、
今はもうその砂色の瞳に、切実な光を灯している。
は無意識のうちに、怖くなった。
彼は何を言い出そうとしているのか。
「できるなら、その存在を、私だけで独り占めてしまいたいと、」
「そ・・・・そう!素敵な、人なんですね、すごく!」
理由無く感じた、その不安な思いに、
は無理矢理ミュラーの視線から逃れ、
失礼とは思いながらも、話を途中で区切った。
だが、ミュラーの瞳は、未だ、の姿を捉えている。
見たことの無い、真剣な色を湛えて。
「・・・・ミュラーさん?」
視線でを捉えたまま、
ミュラーは急に無言になった。
きっと、1秒か2秒。それだけなのに。
には永遠に感じた。
「本当に、誰のことだかお分かりになりませんか」
ミュラーがの、瞳を見て言った。
まで、何も言えなくなった。
視線に、体中捕らえられたように、動けない。
砂色の瞳を、見開いたまま、
さっきまで本を包んでいた、大きな掌が、
の頬にゆっくりと近づく。
体温を感じそうに近く、触れるその一瞬。
触れたのは、掌だけではなかった。
唇に、暖かい感触。
砂色の瞳が至近距離で閉じられ、
髪と同じ砂色の睫毛が、ほんの少しの白い頬に触れた。
唇が離れてから、漸く気づいた。キスをされたのだと。
それくらい、遠慮がちな、それでも緊迫した、一瞬だった。
驚いて目を見開いているに、
目の前にいる砂色の青年は、
何故か、もっと驚いていた。
「す、すみません、閣下!こ、こんな事をするつもりは、」
突然キスをされ、動揺したいのはの方なのに、
ミュラーは顔を耳まで赤く染めて、
しどろもどろに弁明と謝罪の言葉を急ぐ。
さっきまでの真剣な瞳は、いったいどこへ行ったのか。
「ご、ご無礼をお許し下さい!
小官も、本当に・・・・ああ、何をやっているんだ私は!」
言葉が前後かみ合っていない。
それも早口で、どもりつつ言うものだから、
が口を挟む余地が無い。
は未だ、そのままの姿勢で、驚いて目を見張っているままだ。
「し・・・・失礼致します!」
が口を動かす間も無いまま、
ミュラーはその場を走り去って行った。
木漏れ日舞うベンチに、一人残された、。
木々は春を歌う小鳥を鈴なりにして揺れ、
暖かい日差しはのどかな昼休みを謳歌している。
青い空には、薄い雲がゆっくりと流れ、
たった30分前と、何ら変わらぬ景色がここにはある。
『笑顔が、可憐に舞い散る桜のようで、』
『話す言葉の一つ一つが、私の気持ちを暖める』
『視線が合うと、心が金の針で射抜かれた気分になって、』
『できるなら、その存在を、私だけで独り占めてしまいたいと、』
「・・・・どういう、事?」
に驚きと動揺を投げかけたまま、
青い小鳥は他人事のように、心の空を舞い踊る。
昼休みは、残り30分。
〜銀河後書き伝説〜惨敗編〜
こいつめーーーー!!!と、言いながら書きました。ミュラー。
何だ奴は!魔術師!?魔術師なの!?ヤン!?それくらい凄まじい猛攻。
トークではガンガン毒ミュラー毒ミュラー言うてますけどね、ヤバいよドリは。素で青春。青い。尻。
好きな人に恋の相談をするのは禁じ手ではあるけどかなり成功率高い、と前ananで言ってた。
え?じゃあこのミュラー計算?ananとか読んじゃってる系?痛いでしょソレは。違います。
今回全作で、一番ポエティックな事を言いのけてくれたよミュラーさん。ロイもびっくりのポエマー。
まあ人間恋すりゃ誰しも生まれながらのヘルマンヘッセよ。あれ?ヘッセに失礼?うん、そうだね。
何でこんなに前作と更新の間が開いたかっていうとね、
この作から本格的に、本来あったプロットから大逸れしたの。キャラの一人歩きに物語り丸投げ。
動いて欲しい方向に全然進んでいただけませんよだってキャラ愛しちゃってるからこのクサレオタク。
もう少し続きます。だって終わらせてくれないんだよ彼ら。そしてクサレオタク。