観用青年C 〜30歳 主婦の場合〜
1:冷静と微熱の間
本当は、花屋になりたかった。
幸せな結婚式や、ケーキ屋の開店、涙の卒業式の、その場に、
心を込めて作られた花束が、少しでもその感動の手助けになるように。
別に、イベントごとだけじゃなくても良い。
店先に並べられた色とりどりの花を、
仕事帰りに1輪だけ、日々の生活の楽しみになってくれるように。
ガーベラ、カラー、サフラン、サルビア。
胡蝶蘭、秋桜、朝顔、金木犀、富貴菊。
花を贈るマナーと、花言葉、種類や保存法。
学生時代は、新しい事を知るたびに、逐一メモをした。
しかし、白い花とレースに飾られて、幸せそうねと言われ、
緊張しながら、バージンロードを歩いたのは、
自分の方だった。
女はね、結婚して家庭を持つのが1番幸せよ。
本当に良かったわね、素敵な旦那様に嫁げてね。
お子さんはいつ、こういうのは早めの方が良いのよ。
たくさんの友人、親戚に囲まれ、言葉と笑顔を送られて、
この世で1番、幸せなのは、自分であると信じた、8年前の初夏。
けれど、
幸せは枯れるものだと知った。
花と一緒で。
8年後。
ごく一般的な、都内の庭付き1戸建て。
ごく一般的に、夫は浮気をしている。
ごく一般的で、専業主婦の自分。
。30歳。結婚8年目。子供はいない。
ごく一般的すぎて、恥ずかしいけれど、
自分の人生、これで良いのかと、
思っている。
******
「何だ、風邪ひいたのか、毎日家にいるくせに」
珍しく朝食の時間に、食卓へ顔を出した夫が、
熱っぽい事を伝えたに、開口一番、言った言葉が、これだった。
結婚して2年目までは夫のために、昼食用の弁当を、毎日作っていたが、
2年目からは、外食するのでいらないと断られた。
その理由は、深く考えないようにしている。
例えば夫のスーツの胸ポケットに、私のお弁当は美味しかったですか、とか、
可愛いメモ用紙が入っていたとしても。
「今流行ってるから、どこかで貰ってきたみたい」
さっき熱を測ったら少しあった、と、コーヒーを注ぎながらが言っても、
夫は、少しの興味も無さそうに、ふうんと頷いて、
が淹れたコーヒーに口を付けた。
テレビでは、本日2度目の朝の占いが流れている。
の星座は、最近いつも上位だ。
今日のあなたは絶好調、楽しく過ごせます、素敵な出会いがあるでしょう。
どこがだ。
頭が痛くて、寒気がして、投げた言葉は返って来ないのに。
「今日は遅くなる、飯はいらないから」
椅子の背にかけてあった、がクリーニングに出したジャケットを、
ぞんざいに取り上げて羽織り、夫は玄関へ向かう。
寒気のする体で、も送り出しに後を追った。
このドアが開いて閉まったら、薬を飲んでもう1度眠ろう。
今日は夜まで1人きり。掃除と洗濯だけすれば良い。
夫を送り出すとき、早くドアが閉まれば良いなんて思い始めたのは、
結婚何年目からだったろうか、もう覚えていない。
「いってらっしゃい」
閉まるドアに、手を振ったけれど、
言葉も視線も返って来ないまま、バタンと音がした。
******
夢を見ていた気がするけれど、一体何の夢だったかは、覚えていなかった。
インターホンの呼び出し音に起こされて、時計を見ると午前10時40分。
薬のせいか、思いがけずぐっすり眠っていたらしい。
だるさのあった体を、嫌々ながら奮い起こして、
この時間に誰の訪問かと、疑問に思いながらインターホンの画面へ向かった。
「はい、です」
モニタには、営業職によくあるスーツの青年が、
人の良い営業用の笑顔で、カメラに視線を合わせていた。
よくある訪問販売か。迷惑な話だ。適当に断ってもう1度眠ってしまおう。
間に合ってますと言いかけて、スイッチを切ろうとしたに、
意外な挨拶が返って来た。
『観用ロボット専門店スペリオーレです!
様にプレゼントをお届けに参りました!
お誕生日、おめでとうございます!』
忘れていた。
今日はの、31回目の誕生日だったのだ。
******
重いのでお部屋まで運ばせて頂きます、と、
営業用の笑顔が似合う青年が、大きな荷物を抱えて部屋に入り、
受け取りのサインを貰って、ドアが閉められた、5分前。
今、
リヴィングのソファには、
綺麗な顔をした「観用青年」が、目を閉じている。
差出人は、学生時代の、仲の良い後輩だった。
長じた今でも、メールをしたり電話をしたり、年に何度か会っていて、
家庭に入ってからめっきり疎遠になってしまったの友人関係の、
数少ない貴重な友達と言える。
学生時代からの夢だった、医師になる事を、見事に叶え、
毎日忙しく、一人で生き抜く彼女を、はいつも眩しく見上げていた。
その友人からの、誕生日プレゼント。
今まで花束やワインを貰ったことはあったが、
まさか観用青年とは。
話に聞てはいるが、相当に高価なものなのではないだろうか。
独身貴族の経済力に、少し申し訳なく思いながら、
誕生日を覚えていてくれたことに、心からの感謝を覚えた。
目を閉じて座る観用青年は、右手に花束、左手にメッセージカードを握っている。
花束のメインは大輪のポピー、ヨーロッパ原産の1年草で、
花言葉は、忍耐と、慰め。種類の選別は送り主によるものだろうか。
無意識とも、皮肉とも、とれなくもない。
花の色に合わせたデザインのメッセージカードを開く。
最近見ない、手書きのメッセージで、懐かしい筆跡が並んでいた。
『DEAR
31回目の誕生日おめでとう!(回数を言うのはわざとです・笑)
主婦業も大変だと思うので、観用青年を送ります。使ってね。
今度また飲もう、ヒマになったらメールしてね!&するから!
P.S.私の誕生日は温泉を予約して下さい。今からリクエスト!』
「はは・・・・バカ、もう、」
夫はもちろん、自身すら忘れていた、誕生日。
軽口ばかりのメッセージに、心が、温まるのを感じた。
******
さっきまでは、もう1度眠ってしまおうと思っていたのに、
何だか気分が高揚していて、はそのまま、夫と友人にメールをした。
観用青年が贈られた事を知った夫からは、お前が管理しろ、と、1行の返信があり、
差出人の友人からは、お礼のメールをしたが忙しいらしく、返信は無かった。
携帯を机に置いて、はいよいよ、
観用青年と、その取扱説明書を、交互に見つめた。
『1)商品説明。
観用青年W−9型、タイプα、ソミー製。
家事一般タイプ。簡単な事務作業・軽作業、電話応対など可能。
大学入試までの受験知識(国・英・数・理・社)のオプションは、標準装備。
ハードは、涼しげな目が特徴の東洋人、声は低め、性格は優しく几帳面。
身長179センチ、75キロ、靴のサイズ28センチ。ノンピアス。
装飾品を買う際は以上をご参考にお願いします。
2)起動方法。
観用青年の左手を、お客様の右手で握り、以下の言葉を話しかけて下さい。
「おはようございます、私がマスターの、○○○○(フルネーム)です」
これで、観用青年が目を開き、設定された挨拶で、マスターに最初のお返事をします。
お客様の声が遠い場合、体温が低い場合など、起動しにくい事がありますが、
言葉を何度か繰返して下されば、起動します。
3)終了方法。
観用青年の右手を、お客様の左手で握り、以下の言葉を話しかけて下さい。
「おやすみなさい、私はマスターの、○○○○(フルネーム)です」
これで、観用青年が目を閉じ、設定された挨拶で、マスターに最後のお返事をします。
教養学習機能により、終了しても起動時のメモリは消去されません。
消去の際はソミーお客様係までお問い合わせ下さい。
※付加オプションで、花言葉・園芸の知識一般を搭載しました。ご確認下さい。』
花言葉・園芸の知識一般が付属されていることに、改めて友情を感じた。
彼女の誕生日にはぜひ、郊外の温泉でも、1泊予約してやろう。
この喜びは、温泉1泊などでは、とても伝えきれないけれど。
未だ花束を抱えたままの彼は、芸能人に似せたタイプのものではないらしいが、
短い髪を後ろに流して、ファッション用の眼鏡をかけた目は、睫毛が長い。
充分すぎるモデリングと言えるのではないだろうか。
「かっこいい息子がいたら、こんな心境なのかな・・・・」
息子にしては、歳が近すぎるけれど。
息子にしては、にも夫にも、似てなさすぎるけれど。
握り締めた説明書を置いて、は漸く、眠る彼の左手を握り、初めての言葉を、
紡いだ。
「・・・・おはようございます、私がマスターの、、です」
微熱で手が暖かかったからか、彼は1度で起動した。
ピ、と、炊飯器に似た音が出て、は一瞬、キッチンを見遣ってしまったが、
それは彼の、起動音だったらしい。
長い睫毛に縁取られた目が、ゆっくりと開かれる。
東洋人モデルだけあって、澄んだ黒色の瞳が綺麗だ。
彼が小さく身動きすると、抱えられたポピーの花束が、少しだけ揺れて、
完全に目を見開くと、眼鏡越しに彼は、と視線を合わせた。
設定された、彼の最初の一言は。
「お誕生日おめで・・・・何だ、熱があります、37度8分だ、寝てください」
握ったままの手から、その温度まで正確に、
まるで大病にかかっているように驚いた顔で言うものだから。
「は、あはは・・・・!」
笑いと、涙が、止まらなくなってしまった。
泣くまで笑ってしまったのは、一体、何年ぶりだろう。
今日のあなたは絶好調、楽しく過ごせます、素敵な出会いがあるでしょう。
朝の占いも、あながち嘘とも言い切れないらしい。
今日のは、絶好調。
素敵な友人に恵まれて、
嬉しい誕生日は、素敵な出会い。
たとえ体温が37度8分で、寒気と頭痛が止まらなくても。
![]()
〜後書きの温度〜
絶対零度じゃ!寒い寒い寒い!もう死ぬ!駄目だ駄目だ!あまりの寒さに会場ドン引きですね。ヤッチマッター!
ターゲットを絞って書こう企画、さらに暗礁に乗り上げてまいりました3作目。3番煎じはもうお茶じゃない、味のついた湯だ。
今回は初体験の専業主婦です。なぜか害虫の身近にいなく、しかも多様化していて詳しい資料が無い職業です。
今まで従軍ジャーナリストだの医師だのモデルだの書いてきましたが、これが1番ネチネチしたんじゃないかな、脳。
苦肉の策で江國香織と林真理子に頼ったかんね、もう駄目だな。冷静と冷静の間は冷たい視線です。
デフォルトの名前は毎度毎度テッキートですが、苗字に色の名前を入れています。そういうネチネチ感、楽しいです。
それから観用青年Aのヒロインと、微妙にリンクしていますが、微妙すぎるのであまり気にしなくて大丈夫です。胡乱だ。
あれ?つかこれ、一応ズパングのメガヌなのですが、あれ?描写、淡すぎた?生まれなおしてきます。人生出直します。
昼ドラならないように、できるだけライトにライトに書きたいのですが、やっぱメガヌだその辺は。真珠夫人じゃねえの!
ちょ、奥さん、だ、駄目よクリーニング屋さん、な、テンションが本気で似合いますねメガヌ、ちょうすきそういうえむ。
次回、ちょ、奥さん、だ、駄目よ観用青年さん、なテンションにはならないのでご安心下さい。淡いぜ。