君マ!10〜矛盾クラゲ〜の没作。その内消します。
草加を交えての会議が終わり、課員たちは、各々の寝室に戻って行く。
寝室とは別方向に歩き出す洋介に、どこへ行くのかと聞くと、
やはり、予想通りの回答が返ってきた。
「森三尉に手を合わせて来る、雅行、お前は?」
俺は既に、会議の前に線香を1本つけて来たので、
日誌作業も残っているし、洋介を見送って、仕官寝室の方向へと足を進めた。
その途中の廊下で、片桐とすれ違い、呼び止められたのだ。
「菊池さん、」
「何だ」
呼ばれて俺は、片桐を振り返る。
あんな事があった後だから、片桐はいつもの前向きな笑顔を見せず、
しかし悲しいと言う表情でも無く、なぜか、申し訳なさそうな顔を向けた。
「すみませんがね、ウチの、見てませんか」
ウチの、と言う言い方に、何となく絆を感じて、少しだけ微笑ましく思う。
みらいの科員は200余名居るが、ジャーナリストはたった2名しか居ないのだ。
「いや、俺も今、会議室を出て来た所で・・・・どうした、いないのか」
「部屋にも、森三尉の所にも、食堂にもいないんですよ、
あいつに森三尉の事伝えてから、姿を見ていないんです、知りませんか」
若いからね、悲しい事の後を引いているんだと思うんですが、
森三尉に挨拶もしていないみたいで、プロの癖に、甘いですけどね。
でもあいつ、昨日も殆ど寝てないみたいだし、飯も食ってない、ちょっと心配で。
片桐は済まなそうな感情と、途方に暮れたような感情の混ざった顔で、
言葉の最後に一つだけ、小さなため息をついた。
帰りの遅い娘に、小言を待ち構えて待つ父親のようだと、場違いにも俺は思ってしまった。
「まあ、眠くなったら戻って来るとは思いますがね」
見つけたら、寝ろ、衰弱するぞ、とでも言ってやって下さい。
冗談のつもりか、よく解らない言葉を残して、片桐は自らの寝室に消えて行った。
殆ど眠っていない、しかも食事もしていない。
そういえば、最後に食堂にいるのを見たのは、いつだっただろうか。
俺は、自分の寝室のドアの前から踵を返した。
プロらしく無く、個人的に悲しみに暮れる1人の記者の事など、放って置けば良いのに。
そんな考えとは別のところで、なぜか足は勝手に動く。
俺まで、帰りの遅い娘を叱る親父になってしまったのだろうか。
森三尉の件で、無意識に不安定になっているのだろうか、
普段の俺は、こんなに人が良かっただろうか。
日誌作業も残っているのに、たった1人の記者のために、貴重な時間を割くなんて。
片桐に聞いたらしく、さんの不眠、不食は、桃井一尉も知っていた。
「あの子、細いじゃない、体力も無さそうだし、ちょっと不安ですね」
森三尉の遺影は、さんが撮影したものらしい。
訃報を伝える片桐に、さんは泣きもせず、無表情で、
明るく笑った森三尉の、写真の束を手渡して、無言でまた椅子に座り込んだ。
応急の仏壇が完成して、再度片桐が呼びに行ったときには、もう部屋には居なかったそうだ。
「明日の朝食は、何としてでも食べさせる予定です。
他の科員の中にも、食が細くなってる子がいるみたいだし、やっぱり、」
こんな事件が、起こってしまいましたからね。
その言葉は、未だ仏壇の前に肩を落とす佐竹一尉の手前、桃井一尉の口中に飲み込まれた。
もう一度、森三尉に手を合わせ、部屋を出る。
佐竹一尉には、声すらかけられなかった。
一応、資料室も覗いてみると、やはり草加が薄暗い読書灯の元、本を広げていた。
いつもは埃っぽい書物のにおいが漂う資料室に、今はほんのりと線香の香りが混ざっている。
草加も、森三尉のところへ行ったらしい。
ドアを開けた俺に、草加は顔も上げず、文字を追い続けていた。
食堂、艦橋、談話室、まさかとは思うがCICにも、足を進めた。
しかし、一様にして消沈した面持ちの科員がいるものの、探す1人の姿は見当たらなかった。
そして最後に、甲板へのハッチを開けた。
綺麗に整備と掃除のされた甲板、真っ黒く染まった海、満天の夜空。
艦乗りになって10余年、もう見慣れすぎた、夜の海の風景。
その隅の方に小さく、泡粒のような異物の影を、視認した。
それは手摺の前に座り込んだ、探していた、影だった。
動力の切られた艦、それでも船体は波の動きによって、少しだけ揺れている。
しかしその小さな影は、微動だにしていなかった。
声をかけるのが躊躇われて、そっと近くまで足を進める。
近づいて、それは膝を抱いて座り込んでいる、後姿だと解った。
あと3歩の所まで来て、俺の足は歩みを止めてしまった。
声をかけるべきか、肩をたたくべきか、隣に座るべきか。
うずくまる小さな背中に、何をしたら良いのか、解らなかったから。
こう言う時、洋介なら、康平なら、どうするだろう。
きっと面倒見の良い洋介なら、名を呼んで、気遣う言葉をかけるだろうか。
気安い康平なら、黙って隣に座って、一人にしないという意思を見せるだろうか。
そのどちらをしようにも、俺の喉は、その小さな背中の名を呼べず、
俺の足は、その小さな背中の隣に、動き出さない。
情けなく戸惑い、3歩後ろで立ち尽くしてしまう俺と、
座り込む背中の間に、波の音だけが、気まずい沈黙を誤魔化した。
沈黙を破ったのは、振り返らぬまま、その背中が発した、力無い声だった。
「・・・・片桐さん、良い笑顔だったでしょ、森三尉の写真」
後ろに立つ俺の気配を、片桐だと思っているらしい。
無力な声は更に、ここには居ない片桐に向けて続けられる。
「森三尉、海鳥に乗ったあともピースとか、してくれたんですよ」
それは知らなかった。俺はCICに居たから。
しかし、ひょうきんな森三尉の事だから、そんな事も頷ける。
「ガンナーが航空機に乗ってキメポーズって、かなり画的に良いと思いませんか」
画的に良いかは、写真のプロでない俺には解らない。
片桐なら、賛同したりするのだろうか。
「写したの欲しいって、かなりたくさん撮らせてもらいました、
写真をあげて喜ばれるのって、やっぱり嬉しいですよね、撮影者として」
その言葉で、か細い声の語尾が、ほんの少しだけ震えた。
「でも、もう、」
喜ぶ顔は、見れないんですね。
その震える声に。
俺の声帯は、無意識に反応してしまった。
未だ何を言うべきか解らぬままなのに、
ただ、小さな背中の影に、耐え切れなくなって。
「寝ろ、衰弱するぞ」
それは先刻廊下で、片桐が伝言した、冗談のような一言だった。
声が、思っていた人物のもので無いと気づいて、
小さな背中は、弾かれたように振り返る。
さんは、意外にも、涙を流してはいなかった。
その代わり、陶器のようだった白い肌が、寒いほどに青冷め、
柔らかい笑顔だった表情は、機械のような無表情になっていた。
「菊池、さん・・・・何でここに」
それはそうだろう。
片桐だと思っていた気配が、実は俺だったなんて。
当然すぎる質問を、さんは投げかける。感情の無い顔で。
「どこにもいないと、片桐さんが心配していた、今のは伝言だ」
その言葉は、さんの質問の回答にはなっていなかったが、
なぜ自ら探しに来たのか、その理由など俺自身すら解らない。
足が勝手に動いてしまったのだ。
この小さな背中を、震える声を、捜して。
「ありがとうございます。すみません、わざわざ、でも大丈夫ですから」
そう言ってまた、水平線を眺める。
ちっとも大丈夫そうには見えなかった。
まだ日誌作業が残っている。もう時刻は22時を回っている。
本人が大丈夫と言っているのだから、俺は部屋に戻れば良い。
睡眠不足も食の細りも、本人の責任で、俺には関係無い。
演習でも海外派遣でも、作業中の不幸な事故はこの職には付き物だ。
それを、仮にもプロのくせに、悲しみに暮れるなんて、どうかしている。
そして俺を心配させるなんて、どうかしている。
だが、俺の足は、今更になって。
膝を抱く背中の隣へと、勝手に進み、
40センチか50センチか、曖昧な距離を空けて、腰を下ろした。
水平線を眺めるさんの横顔は、やはり涙を流していない。
長い睫毛は、横から見るとさらに長く見え、大きな瞳に星の影を作っている。
抱いた小さな膝の上には、やはりカメラが乗っていた。それは森三尉を写したものだろうか。
「・・・・さん、もう休んだらどうだ」
俺は陶器の人形のような、無機質な横顔に、
再度、片桐や桃井一尉、そしてなぜか、俺までもが案じている言葉をかけた。
「・・・・え、ああ、もうそんな時間ですか」
時間が経つのを、感じていませんでした、と、
さんは、細い手首に似合わない、ダイバーズウォッチを覗き見る。
しかし、見たような動作をしただけのように、俺には感じた。
きっとそこに映るデジタルの数字など、頭に入っていない。
その証拠か、さんはまた、何も見ていない目で水平線を見つめた。
「眠りは浅くなっているそうだし、食事もしていないんだろう、
片桐さんが心配していた・・・・俺も、案じている」
最後の、俺も、の言葉を言うときだけ、
俺の声帯は、なぜか緊張した。
人を案じるくらいの器量を、俺は持ち合わせていなかっただろうか。
まさか。
「すみません、菊池さんには、心配かけてばかりですね」
ほら、この前の取材の時も、わたし船酔いになってしまったし。
別に謝られることでは無いのに、さんは遠い目をしたまま、そう続けた。
ここまできて、俺はふと思う。
彼女が見つめているのは、果たして本当に、水平線なのだろうか。
その遠い視線は、海と空との境目よりも、もっと遠くを見つめているのでは無いか。
もしそうなら、きっとそれは。
「・・・・さん、森三尉の事を、考えているのか?」
俺はやっと、彼女がこんな肌寒い所に、何時間も膝を抱き続ける、
その理由の真ん中に、言葉をかけた。
彼女が見つめる場所、それは。
森三尉の旅立った、誰も知らない、遠い場所だ。
「プロのくせに、情け無いです、片桐さんに申し訳ない」
夜の海から吹く、涼しい風が、俺の青色の襟元と、
さんの、大きすぎるガポックを撫でて、過ぎ去った。
「悲しいのは当然だ、俺も悲しい・・・・気持ちはよく解るよ」
人を慰めることなど、何年ぶりだろう。
思えば俺は、いつも慰められる側に居る気がする。
面倒見の良い洋介、気安い康平。2人はいつも、俺を元気付けた。
そして俺は今、元気付ける側に居る。
今まで10余年もの間、2人に言われた言葉、態度を、総動員して思い出す。
何か、隣で膝を抱く小さな背中に、勇気を与えられるものを。
しかし、思い出せはするものの、俺の口は一向に、その言葉を紡がない。
「すまん、何て言ったら良いか解らないが・・・・元気を出せ」
結局、謝るわ不恰好だわの、何の個性も無い一言を継いでしまった。
「
〜ここまで〜
ここまで書いて、止めました。お手数ですが画面を閉じてお戻りください。