これから始まる大レース ひしめきあっていななくは
天下のサラブレッド4歳馬 今日はダービーめでたいな
走れ!コウタロー!
大きな南向きの窓から差し込む、水曜午前11時、春の陽光。
4階の高さから望める広場の桜並木は、緩やかな風に揺れピンク色の海のようだ。
諜報局副総監・の執務室は、
コの字型をした旧館4階端、士官学校の1教室くらいの広さがあり、
そこに副官、補佐官、秘書官、その他仕官、従卒など、12名が執務についている。
当然ながら2名の従卒以外は、その上官より年上で、
この執務室の長、が、どれほど高速に出世を果たしたかを物語っている。
そして執務室の長は、今微妙な問題に直面していた。
執務机の上に積まれた、書類と封筒の、文字通り、山。
2年も前から追っていた麻薬シンジゲートの摘発にこの春やっと成功し、
末端機関で溜め込まれた情報や記録が、一気に流れてきたのだ。
の所に回ってきたのがこの量だから、総監はずいぶん仕事に楽をしたと見える。
だが、任務に神速を誇る副総監が悩んでいるのは、この書類の処理についてでは無い。
「・・・・ガラガラ、借りてこようかな・・・・」
この書類の山を、いかにして「運ぶか」である。
通称"ガラガラ"と呼ばれるのは、
機材や図書用のキャスター付き小型荷台で、後方勤務の文官が主によく多用する。
だがここは、最前線のオーディン本営。
そのような小道具を使いたがる者も、また必要とする者も少なく、
使いたい場合は地下の機材倉庫まで取りに行かねばならない。
本来、書類運びなどは副総監大将の仕事では無いが、
部屋に残っているのは1人。
「・・・・ちくしょう、仕方ない!」
多少下品な言葉ではあったが気合を仕切り直し、
は肉体労働を決めた。
半メートルはあろうかというその書類の山を、
危なげな足取りで運ぶを、すれ違う面々は不安げに敬礼をした。
手助けしようにも、の肩口に覗く階級章は、大将。
下手に見くびると無礼に当たるし、性差別にも繋がってしまう。
その軍儀が、の筋肉も脂肪も殆ど無い細い腕に、書類の重みをのしかけた。
運び入れ先はコの字型の、対角線の両端。
すなわちの執務室から最も遠い。
やはりフェザーンから運気低下のウィルスでも運んできたのだ。
はそう思わずにはいられなかった。
新しさは無いが、綺麗に掃除され、軍服の行き交う広い廊下。
普通に歩く倍の時間をかけ、やっと道程の半分を攻略した時。
運気低下のウィルスは、ここでも効果を発揮した。
幼年学校の掃除当番が、勤勉に廊下掃除に精励した結果、
書類山で足元の見えないを、
勢い良く滑らせた。
すてん、と効果音が聞こえた気がして、
次の瞬間、盛大な音をたてて、
書類、封筒、マイクロディスクの山が、山崩れを起こした。
広い廊下に、を中心に白い紙の海が出来る。
まさかまじめに廊下を掃除した掃除当番を責める訳にもいかない。
「・・・・ツイて無さ過ぎる・・・・」
は莫大な自己嫌悪と、悪運のウィルスを呪って、ため息を1つ漏らした後、
床に膝をつき、散らばった書類を拾い始めた。
その時、頭の上から、既に知るよく響くバリトンが降り注いだ。
「大丈夫か?」
一瞬の、既視感。
が顔を上げる前に、バリトンの持ち主の方が、しゃがみ込んだ。
オレンジ色の髪に、鳶色の瞳と目が合う。
やはり、ビッテンフェルトだった。
「これ全部運ぶのか?・・・・この量は卿には少し無謀だろう」
言いながらビッテンフェルトも、散らばった書類を拾い集める。
「あたししかいなかったんだよ、運ぶ役」
「諜報部は人材不足なのか?うちの口喧しい小姑を何人か派遣しようか」
「あはは、気持ちだけ受け取っておくよ、
お目付け役がいないとみんなだらけちゃうでしょ」
見ればビッテンフェルトは、下半身だけは軍服だが、
上半身はトレーニング用のTシャツが少々汗ばんで、ドッグタグが光っている。
右腕には白兵戦訓練用のアンダープロテクター。
口喧しい小姑と言われるビッテンフェルトの部下らも、
この自由奔放な上官に、相当苦労しているんだろうとは推測した。
書類は全て拾い集められ、が先刻まで全身全霊で支えていたそれを、
ビッテンフェルトは片手で軽々と抱え上げ、
「どこに運ぶんだ?」
と、気楽に聞いたものだから、は少しだけ悔しくも感じた。
が持てば書類は"山"になるが、ビッテンフェルトが持つと書類は"束"になる。
ありがたいがさすがに全部持ってもらうのは心苦しい、とが言うと、
ビッテンフェルトは笑って、上の方に乗っていた封筒の3つだけを手渡した。
紙束を持ったビッテンフェルトと、封筒を持ったは、並んで廊下を歩く。
「・・・・そういえば、ビッテンフェルトに助けられたの、これでもう3回目だね」
土曜日、昨日、そして今。
「ああ、俺はラッキーだな!」
「え?何で?ラッキーなのはあたしでしょ?」
「あ、いや・・・・うん、そうだな」
これがもし口の上手いロイエンタールでもあったなら、
何か甘く気の効いた言葉で伝えられるだろうに。
卿を助ける騎士役を3度も賜った、俺の方がスーパーラッキーだと。
ビッテンフェルトが飲み込んだ言葉に、
隣を歩く銀色の大将は気付いていない。
書類は無事、目的地へ運び入れられた。
「ありがとうビッテンフェルト、本当助かった!」
銀色の瞳に、満面の笑みを湛えてが礼を述べる。
ビッテンフェルトは思う、よし今度こそ気持ちを伝える一言を!
「卿に会えるなら、」
書類ができる度に呼びつけて欲しいくらいだ、と言いかけた時。
「!・・・・閣下!」
とビッテンフェルトの背後から、
春を謳うフルートのような澄んだテノールが響いた。
そう、ここはコの字型の反先端。
ラインハルトの執務室の斜向かいだったのだ。
「ラインハルト!」
近づいてきた極上のサファイアのような瞳は、
まず笑顔でを見つけ、
次に探るように慇懃無礼な表情でビッテンフェルトを見た。
「これは・・・・ビッテンフェルト大佐。閣下も」
ラインハルトは営内ではに敬称を使う。
だがいつになく緊迫した空気を放つラインハルトに、は不安に思う。
この二人は不仲だったのだろうか。
「ラインハルト、ビッテンフェルトがね、助けてくれたんだ。
書類の山、持って運んでくれたんだよ」
「偶々行き逢ったので当然の事をしたまでだ」
「・・・・そんな事がおありなら、小官を呼びつけてくだされば、
喜んで御前に馳せ参じましたものを、残念です」
あからさまな牽制。
ビッテンフェルトはふと思い起こす。
月曜に、彼に聞いたとき、確かに恋人はいないと言っていた。
だが裏を返せば恋人はいないが、想う人ならいる、といった意味かもしれなくて。
そしてビッテンフェルトのその予想は、
痛いほどの大打撃を伴って、ラインハルトの次の発言で明確になった。
「それはそうと・・・・、今夜暇か?」
わざとファーストネームで呼び、わざと意味深な誘い文句。
2人の間に、激しくピンク色の火花が炸裂した事に、は気付かず、
うん、ひまだよと、気楽に受けたことで、
ビッテンフェルトはまたしても、強敵に遅れをとった形になった。
火花は苛烈に燃え上がる。
恋という名のガソリンを燃やして。
__________
きっとあの二人は前から不仲だったのだ。
今度からはどちらかと一緒に居るときはなるべく会わないようにしよう、
などと思いながら、が自分の執務室に帰り、そのドアを開けた時、
執務室の応接ソファに、見覚えのある砂色の髪の青年が座っていた。
は従卒に、どんな客人が来ても礼を尽くせと教えてある。
普通、大将程の者の執務室に、それより下位の者が参じときは、
直立不動で立ったまま、その帰りを待つのが常であるが、
コーヒーを出され、ソファに座ることを勧められた砂色の青年は、
そのギャップに落ち着かなく不安であったらしい。
が帰ると、弾かれたように立ち上がり、敬礼して名乗った。
「ナイトハルト・ミュラー中佐です!
閣下にお目通り願いたく、参上しました!」
「あ・・・・昨日の!」
は思い出した。
昨日、変質者の魔の手から、ビッテンフェルトに助けられた時、
隣にいた温厚そうな青年、ミュラーだった。
「昨日はありがとうございます。本当に!
ビッテンフェルトにはお礼を言ったけど、あなたにはまだでした」
あの時助けられなかったら、トラウマが一つ増えているところでしたから、と、
言いながらは、ミュラーの向かいのソファに座る。
ミュラーがそれでも立ったままなので、苦笑して座を勧めた。本当に軍とは面倒な場所だ。
従卒がの分の紅茶を運んできた。
「どうか、お楽になさってください、こちらまで緊張します」
「いえ・・・・昨日は大将閣下とは知らず数々のご無礼をお許し下さい。
ビッテンフェルト大佐共々、どのような罰でも謹んでお受けいたします」
「そんな、無礼を窘められるのはどちらかというと私の方です!
助けて頂いたのにお礼も曖昧で・・・・ごめんなさい、昨日はちょっと、ショック受けてて」
「いいえ・・・・閣下がご無事で何よりでした!」
ミュラーは笑うと目が細まり、仔犬のような顔になる。
やっと少しは楽に笑ってくれたことに、も微笑んだ。
「ところで・・・・今日は何故わざわざ?」
は問う。まさか無礼を陳謝するためだけではあるまい。
「はい、実は、」
言ってミュラーはポケットから何かを取り出し、丁重にに手渡した。
指紋が着かないよう、小さな紙袋に丁寧に包まれた、それは。
「・・・・これ!私の!」
銀製の輪のピアスだった。
「やはり閣下のものでありましたか。
昨日あの場所で拾ったのですが、御名前が彫られていたもので、もしやと思いまして」
「無いと思ってたんです!良かった・・・・大切なものだったの!」
輪の内側に『〜16th〜』と彫られたそれは、
16歳の誕生日に、二人の大切な友から贈られたプレゼントだった。
これは18歳を迎える今年になっても、のお気に入りで、
失くしたと気付いた昨日の夜は、半泣きになって探していた。
「度々ありがとうございます、助けられてばかりですね私」
が笑って、ミュラーが仔犬のような顔で笑い返したとき。
昼休みを告げる12時のベルが、全館に鳴り響いた。
「・・・・ミュラー中佐は、お昼ご飯のご予定はありますか?」
「いえ、特に・・・・いつも通り食堂でとろうと思っておりました」
「良かった!ではお礼も兼ねてランチにお誘いしたいのだけど、いかがですか?」
「!・・・・か、閣下が、小官を、で、ございますか!?」
まさか大将閣下から、たかだか中佐の自分に、しかも私事で食事の招待を受けるとは。
人生初の出来事に、ミュラーは驚きを隠せない。
だが待て。
ミュラーの心中に、ある1つの考えが浮かんだ。
ここで閣下と可能な限り親密になっておけば、
あの浮名の武勲を誇るロイエンタール准将を、ある意味牽制できるのではないか。
そしてロイエンタールの恋武勲に比べれば、
矮小な惑星ではあるが、ビッテンフェルト大佐の勝利に、
多少は協力できるのでは無いか。
「小官にはもったいない大命を、ありがたく存じます。
無才の身ではございますが、謹んでお受けいたします」
恭しく頭を下げたことに、が微笑んで、ミュラーもまた順じた。
このとき、ミュラー予測も出来なかった。
まさか、ミイラ取りがミイラになろうとは。
春の真昼を謳う桜並木が、
誰かの心を表すように、ざわざわとかぜに揺れた。
満開は近い。
〜銀河後書き伝説〜吐血編〜
野郎共の血で血を洗うガチバトルのゴングが鳴りました。やっと出発点に立てた感。ため息と吐血と一緒に出る。
もうちょいミュラー揺らした方が良かったかな。従順な軍人は恋の火蓋が重たすぎる。
そして今回もタイトルは曲名。血迷った臭いがプンプンするぜ!コウタローて。ソルティーシュガー。
毎回毎回タイトル考えるときが一番楽しいよ、それぐらいしか人生楽しみないんだよ、ムシケラさ俺は。
全然関係無いけど、原作でビッテンがハルトに敬語使うとき、妙にヒヤヒヤしない?
こいつちゃんと正しい敬語使えるんかな、みたいな。素で焦る。でも意外に使えるんだよね。SU・TE・KI。
次回もガンガン撹乱に撹乱を重ねます。よろしくお願いします。