君はマーメイド!
act.7〜日本海溝にヘコめ!〜





午前8時。
海軍少佐、草加拓海は、
角松の判断によって、資料室に通された。

過去の人間にとって、未来の知識は、正にパンドラの箱。
その知識を司るみらいは、箱の命運を左右する正に神ゼウスだった。
朝昼の食事もそこそこに、資料と言う名の誘惑に浸り続け、
現在、午後5時。

今、草加は、大日本帝国の未来に関する、最後の1冊のページを、閉じた。




******




時計が水没で壊れてしまったので、現在時刻が解らない。
かなり前に、誰かが昼食を知らせに来たのは覚えている。
夕食の時も同じように、知らせに来るだろうか。そう言えば空腹だ。
しかし昼食の時は、呼びに来た兵士に対して、本から顔を上げず、
返事もしなかったから、もしかしたら、もう呼びに来ないかも知れない。
食堂に行こうにも、場所が解らない。

草加は、椅子に座った体勢のまま、暫くの間、
目を通した帝国の未来と、今日の夕食と、現在時刻について、思案していた。

その時、資料室の扉が、誰何も無しに開いた。
そして草加は、そのままの体勢のまま、思案を止めて暫し、驚いてしまったのだ。

入室してきた人物が、若い、女、だったから。




「あ、ごめんなさい、まだ使用中ですか?」

女はその顔に似合う、高く柔らかい声で、草加に問うた。

「・・・・いや、今終わった所、だ」

草加の表情は、元より読み取り難い。
本人も、他人に自分の感情を特別知ってもらおうと思ったことが無いから、
海大時代は同期によく能面などと称されて、囃されたくらいだ。
その他称に相応しく、驚いた感情を表に出さぬように、草加は女に向かって返事をした。

女。一体何故、このような軍艦に乗艦しているのだ。

すぐ出て行きますから気にしないで下さいねと、女は言いながら、
入り口近くの本棚から、冊子と書籍の何冊かを漁っている。
女の腰元には、黒く大きな、鞄のようなものが下がっている。

この艦で、女の軍医には会った。
しかし軍医は艦の軍服を着ていたが、この女は着ていない。軍帽も着けていない。
それに軍医の年齢は30代を越えていたように見えたが、この女はとても若い。
確実に、軍医では無いだろう。そもそもこの女は軍属なのだろうか。

草加は本を読んでいる振りをしながら、この所属不明の女の横顔を、盗み見る。

背伸びをして高いところの本を探し、見つけた本に手を伸ばす、
その腕は、今まで見たどんな女より白く、華奢だ。
背伸びする脚が、長い。身体は痩せている。これでは着物が似合わないだろう。
肌は白人より白い、雪のような色。だが瞳は日本人の黒だ。
しかし睫毛が長く、目が大きい。
髪も、艶やかではあるが鴉の濡場色には程遠く、薄茶色い。
合いの子だろうか。
しかしそうだとしたら尚更、何故、軍艦に乗るか。

「あ、そうだ、傷の具合は大丈夫ですか?まだ痛い?」

女はふと気づいたように、本棚を漁る手を止めて、草加に視線を合わせた。
横から見た女は、正に不可思議だったが、正面を見てもそれは変わらない。
むしろその奇妙さは、増加した。
見合った瞳は大きく、睫毛は頬に影を作る。
薄く開いた桃色の唇に見えたのは、八重歯の小さな綺麗な歯列。
草加の体を案じて聞いた、悪びれない視線。

不思議な外見だが、美しいかもしれないと、草加は思った。

「いや、薬を貰っているから・・・・もう痛くは無い」

「そうですか、良かった」

女はまた、元の本棚の方を向いて、何冊かの書籍と冊子を探していく。
選び出された書籍の何冊かは、足元に揃えて重ねられ、
その題を盗み見ると『ゼロ戦写真集』、『軍艦フォトギャラリー』、『太平洋戦争の風景』。
それは先ほど草加もある程度は目を通したものだが、
ゼロ戦、軍艦、風景、選出に一貫性を感じられ無く、これに女の所属は伺えない。

軍人と共に艦に乗り、草加の体を案じる、綺麗な、若い、私服の女。
そしてやっと草加は、ある1つの考えに、思い至った。
この女の所属。それは。

「あなたは・・・・」

「え?」




草加の声に反応して、女は再度、向き直った。
電灯の薄暗い光に、女の大きく黒い瞳が、ビー玉のようだった。




「あなたは・・・・慰安婦か?」




それなら艦に乗る事も、草加の体を案じる事も、
若い事、美しい事、私服な事、女な事も、全て合点がいく。
てっきり、先程のような悪びれない顔で、肯定でもされるのかと、
草加は思っていた。

しかしそれは、予想だにしない方法で、返答された。




一瞬、何が起こったのか解らなかった。




ばちん、と、乾いた音。

1秒後に、それは聞き慣れた音という事に気づいた。頬を張る音だ。
2秒後に、自分の左頬が、熱く、薄らと痛みを持っている事に気づき、
3秒後に、目の前の女が、自分の頬をしたたか打ったのだと、気づいた。

そこまでかかって漸く、己の感覚を疑う。
何故自分は、頬を張られないとならないのだろう。
草加は、今し方自分を打った、目の前の女を見遣った。

女は、悲しさでもなく、怒りでもなく、あえて言うなら汚い物を見るような目で、草加を見下ろしていた。
女の瞳に、理由の解らない雫が、大量に溜まって、睫毛が湿っていた。
自分の左頬を打ったであろう、女の右手が、何故か、小刻みに震えていた。

一体、何なんだこの女は。




「何故、」

「・・・・バカ!」

思わず出た草加の問いが終わる前に、女の声が重なった。
静かで吐き捨てるような一言だったが、その内容は草加の疑問を、更に煽るに充分だった。
何故、頬を張られ、罵られなければならないのか、こんな若い女に。

「・・・・は?」

「バカ!」

女はもう一度、同じ言葉を同じ口調で繰返し、今度は更に続けた。
草加が口を挟む余地も、雰囲気も、この場には在り得なかった。
それ程に、女の瞳は潤み、右の細い手先は震え、草加の左頬は熱かった。

「そういうモラルの無いバカがいるから!嫌な歴史が残る!」

やはり吐き捨てるように、女は言う。
モラルとは英語のmoralの事だろうか、意味の判らない言葉は、
今度はそれが、捨て台詞になった。




探し出して重ねた本を、律儀に抱えて、
それでも女は草加を、侮蔑の視線で見据えたまま、扉を閉じた。
部屋には、たった5分前と変わらぬ体勢、変わらぬ表情で、
左頬だけが、薄らと赤くなった草加が、残された。

曲がりも何も、帝国軍人。
若い女の平手打ちなど、上官のそれに比べれば、蚊に刺されたに等しい。
しかし、痛くないはずの頬は、燃えるように熱を持って、
草加にその存在と、頬を張られた事実を伝える。

「・・・・何なんだ、あの女は」




空腹を訴える胃を無視して、草加はもう一度本棚を漁った。
先程は、日本の未来と対戦の移り変わりに関する本以外は、流し読みに近かったが、
今度は、ある題材に関しての書籍を探し出して、紐解いた。

その題材は「慰安婦」の、三文字だった。




******




「・・・・草加、何だ、左の頬が赤くなっているぞ」

ちょうど草加が、ある1冊の本を読み終わった頃、
資料室のドアは、夕食の始まりを伝えるためにノックされた。
今度は草加も、呼びに来た科員に顔を上げ、しっかりと出席の返事をした。
書籍はあらかた読み終え、ある程度は満足した事もあったが、
空腹と、その他の生理的欲求を、本を閉じて急激に思い出したからだ。
部屋に入ってから、驚くことに10時間が経過していたのだ。

食堂に案内され食卓についたとき、向かいに座る角松の、第一声がこれだった。

「気にするな・・・・些事だ」

食卓に並べられた未来の軍用食に、興味深そうに口を付ける草加を、
不審そうな目で見つめながら角松も夕食にありついた。

草加の席は食卓の隅の方だったが、周りの席は幹部科員で固められている。
これは、未だ草加を充分に信用していない菊池からの案だったが、
草加の右隣には尾栗が座っているので、科員との雑談の中に、草加も引き込んでしまう結果となった。

「な、美味いか、やっぱ昔の艦飯と今のと、違う?」

「・・・・ああ、美味いな。味も滋養も、良く考えられている」

「お!いいねー、おい、聞いたか!美味いってよ!」

「ありがとうございます、作る甲斐があったってもんです!」

草加は、尾栗と科員たちとの会話を耳に入れながらも、
それとなく、食堂に私服の影を探した。
しかし、一人だけ得体の知れない私服の男は居たものの、
先程出会った、あまつさえ平手を打たれた、あの若い女の姿は見当たらなく、

「あ、食後に一服、吸うか?ラークでもセッタでもマルボロでも、何でもあるぜ!」

見たことの無い色とりどりの煙草箱を、尾栗と何人かの科員に差し出され、
そちらの方に気を取られてしまった。
煙草は好きではないけれど、未来の煙草はとても興味深かったから。




好きではない煙草を、1番綺麗な箱の絵柄を選んで、1本だけ吸って、
草加は、食堂の対角線の隅、得体の知れない私服の男の元に、近づいた。

そして近づくや否か、猛烈な閃光を浴びせられ、
驚いて一瞬、身を引いてしまった。
私服の男は、手に小さな黒い機械を持っていて、それが写真機であり、
今自分は写真を取られたのだと気づくのに、何秒かを要した。

「いや、すいませんね、興奮しちゃって、声をかけてから撮れば良かった、もう1枚、イイ?」

草加が答える前に、また激しく閃光が走る。
今度は身を引いたりはしなかったものの、やはり驚きは隠せなかった。

「生の帝国軍人!しかも最新イージス護衛艦に!最高の絵だね!」

男は得体は知れないが、人の良さそうな笑顔で笑う。
私服の意味は判りかねるものの、記録兵かも知れないと、草加は思った。

「それは写真機か?・・・・ずいぶん小さい」

「小さい?そうかな、俺の愛機はかなり旧型ですよ、ごつい方」

「そうか」

この大きさで旧型、ごつい方なら、最新式はどれだけ小さいのだろう。

「人を探している。私服の若い女は、あなたの同業か?」

草加が聞くと、男は意外そうに目を丸くし、次に不安そうな顔になった。

「そうだけど・・・・何の用ですかね」

男は笑顔は温かいが、不安な顔をすると、途端に目つきが鋭くなった。
草加はその表情の変化に気がつかなかったわけでは無いが、
あえて無表情のままで、言葉を続けた。

「夕食後、その方に呼ばれているんだ、つい、名を聞きそびれてしまって」

草加にとって、嘘をつく事は、煙草を吸うよりも楽な作業だ。




そしてその嘘は、偶然にも男の信頼を必要以上に勝ち取ったらしい。
ああ、あいつもう依頼したのか、いやになるぜ、仕事早いったら。

男は、女の部屋の場所を、草加に指示した。
それが士官寝室であったから、草加の疑問は新たにまた増加した。




不思議な食事、不思議な煙草、不思議な写真機。
未来の事物は一様にして草加の興味をそそり、目を開かせる。

しかし今、一番深くその好奇心が否定できないのは。




不思議な顔立ち、不可思議な本選び、平手打ち。
そして、大きな瞳に滲んだ、透明な雫。




その仕官寝室の前に立ち、できるだけ優しく聞こえるようにノックを3度。
部屋の中から、細く柔らかい声で、入室許可の返事が戻った。




    




〜この後書きは・・・・美しいな・・・・〜

いや美しかねえだろ。後書きの題字をパロるのも限界に近づいてきました7作目。何かおいしいネタあったらゆってよ。

キャーもうすげえ楽しかった放送禁止用語差別用語羅列すんの!白人!合いの子!キャー!楽しー!
もううんこちんこまんこ言う小学生とさして変わんねえよここまできたら。いやこっちの方が低脳か?あ、害虫か。

そして全国の草加を穿った視線で舐め回す同志達への愛燦々。草加、ぶっ叩いてやったよ!褒めて!良くやったと!ごめんなさい。
ぶっちゃけね、とりあえず何でも良いからぶん殴ろう企画だったのこれ。ごめんなさい。ハイ、ごめんなさい。
綺麗だ可愛いだ子猫だイルカだ言うてるヒロインを、素ギレさす事に、いつになく気合と労力を要しました。やり遂げた感。猛省。
あれ?このネタでヒロインキレさすの、アリだよね?と最後の最後まで自問自答。歴史ネタはビビりつつ。内閣も斯くやの牛歩。
つかよく考えたら、こんなケツ青い害虫より古参も古参で、戦時パロ昭和パロやってる方、尊敬します。言葉は難しい。

草加が吸ったの、何の銘柄にしようか、未だ思いつきません。何かすげえマニアックなんだと良いな。
科員の一人くらい重箱の隅をつつくようなマニアスモーカーが居てもよかろうby艦長。キャプテンブラック?JPS?ロゼ?

そして言い訳くらいさしてくれたっていいだロォーお前鬼かヨォー優しさ見せろヨォー。ごめんなさいごめんなさい。平身低頭。
1942年の海軍士官の日常使用単語、どこ探しても資料見つかりませんでした。良いのあったら教えてちょんまげ切り。重罪じゃん。
ネットと日本文学系の図書館で辞典ばっか見てたからイカンのかな。逆に戦時小説のがアリ?口語は難しいね。
新聞とかの文語は大量に見つかるんだけどね。口語はね。1秒ごとに変化するものだから渋谷のギャルを見なさいよアレだよ。
口語の聞き書きなんて、もう玉音放送くらいしかねえよ。とか言ってんだよ?あれ口語じゃねえ。皇語だ。
写真機?キャメラ?どっち?モラルは既にカタカナ語で常用?ごついはナシ?アリ?慰安婦は近代語?当時も同語?

すげえ楽しいよ資料探し。みんなも!図書館に!大学に!レッツら☆ゴウ!きもいね。
(あ、草加、いったん落としたけど、ちゃんと浮上させるので許して下さいもうしませんごめんなさいごめんなさい)