君はマーメイド!
act3.〜センチメンタルトロピカル〜
元々、写真を撮られるのはあまり得意じゃない。
昨夜取材依頼を受諾してしまったのは、間違いだったかもしれない。
CICに立つ俺を、甲板に立つ俺を、飯を食う俺を、
・・・・サンの、デジタルカメラが常に見張っている。
科員の日常を取材するとは言っていたが、
これでは多少、気疲れも否めないな。
それでも、取材許可を満面の笑みでありがたがって、
嬉々としてファインダーを覗くに、菊池は何も言えず、
カメラに尾行されるような1日を、漸く終わろうとしていた。
科員に慕われる尾栗と、賑やか好きな角松が、
やはりと言うべきか、いつも科員食堂で食事を摂るものだから、
本来静寂と落ち着きを好む菊池も、
引っ張り出されて騒がしい食堂で卓に着く。
海自の密着取材に慣れた、ジャーナリスト片桐は、
既に知己の科員もいるし角松等とも知り合いで、科員食堂でも違和感は無かった。
だがしかし今回の出港には、海も初心者、海自も若葉の彼女が居る。
菊池は斜向かいで卓に着く、彼女、を見遣った。
海に似合わぬ白い肌。マリンブルーの制服に囲まれ目立つ、若い私服。
長い睫毛に覆われた、黒目がちの大きな瞳は、
まばたきする度に、それ自体がカメラのシャッターのようだ。
昨日は乗艦1日目ということもあってか、
興味も露わな騒がしい科員たちに囲まれ、所在無げにしていた彼女も、
今日は向いに座る尾栗と、横に座る角松、桃井一尉と、明るく談笑している。
人と打ち解けるのが得意な尾栗は特に、意識して話しかけるようにしているらしい。
小栗には、確かあれ位の年頃の妹がいたから、知らぬうちに気遣っているのかも知れない。
角松も、幼い息子がいて、家族ぐるみで度々、妻の友達と遊びに行くと聞いている。
何だ、ぎこちないのは俺だけじゃないか。
菊池は箸を止めて、ため息をついた。
姉妹のいない一人っ子。中高一貫の男子校。
女子学生の少なく、遊ぶ暇も無い防衛大。卒業後はすぐに海に出て。
自慢じゃないが今までの人生、女の子と触れ合った機会は数える程しか無い。
特に、あんな年齢の若い女性なんて。
例え仕事であれ、若い女性が乗艦する事を最初に危惧したのは尾栗だった。
しかしそれでは性差別にも職業貴賎にも繋がると、最初に咎めたのは菊池だった。
彼女は職務のために来ているのだから、変に気遣えば逆に失礼だ。
他のジャーナリスト片桐同様、1人の従軍記者として応えるのが義務だと、
正論を打ち立てて言い張ったのは、紛れも無く菊池本人だった。
しかし、いざ乗艦してみれば、尾栗や角松のように別け隔て無く対応できず、
近くの席に座ったは良いが、何を話してよいのか無言になる、不器用な自分がいる。
「普段はどんな雑誌を書いてるんだ?俺も知っているかな」
「先年度まではブルームに居たんですが、今年度からは大衆月報です」
「あ、ブルームは知ってるぞ、うちのが買ってたはずだ」
「そうなんですか!ありがとうございます」
「はは、言っておくよ」
尾栗は本当に、彼女にとって兄のような立ち位置を獲得したらしい。
夕食が終わっても、尾栗は彼女の向かいで煙草に火をつけている。
科員もまばらになった食堂には、団欒の喧騒の中に、
尾栗のよく通る声と、彼女の高く細い声が、少しだけ浮いて聞こえる。
「でも・・・・大衆月報か・・・・悪ぃ、聞いたことないな。洋介、お前知ってるか?」
「何だ康平、知らんのか!世界の文化とかニュースを紹介する有名誌だぞ?」
「俺は漫画以外読む目は持ち合わせてねぇの!じゃあ洋介、読んだことあんのかよ」
「・・・・あ、あまり詳しくは知らないが」
「ほら見ろ!やっぱりお前も漫画組じゃねぇか!」
ヘビースモーカーの尾栗は、目の前に煙缶を1個独占している。
角松も普段は煙草を吸うが、角松まで吸ってしまったら、
彼女が位置的に、煙に囲まれることになるから彼なりに遠慮しているのかも知れない。
コーヒーに口をつけて、雑誌の話に花を咲かせる3人を、遠巻きに見ていた時。
「こういうのは雅行が詳しいんじゃないか?」
突然、3対の瞳が、向き直った。
急に何だ、俺に振る事無いじゃないか。
何を話せば良いか、今でも解らないのに。
「・・・・大衆月報、知っているさ。先月も読んだ」
失礼に当たらず、かつ、当たり障りの無いよう、無難に返したつもりなのに、
おお、やっぱりな、と予想が当たった角松が、嬉しそうに反応した。
そして更に、その隣に座る彼女にまで喜ばれた。
やはり嘘をついてでも、知らないと言うべきだったかも知れない。
そんなことは俺の矜持が許さないけれど。
「嬉しいです、ありがとうございます!」
大きな瞳をふにゃりと崩して笑う彼女から、
コーヒーに口を付ける振りをして、目を逸らした。
こういう時、俺が康平だったら、洋介だったら、何か上手い言葉を返せるのだろうか。
「今撮ってる写真とか載るのも、その雑誌なんだろ?どんな雑誌なんだ?」
「まさか先月号の読者がいるとはなあ」
菊池にコーヒーを飲む暇も与えず、
尾栗、角松は身近に発見した読者に、更に質問を投げかける。
自分たちの写真やインタビューが本に載るのが、
尾栗はともかく角松も、やはり楽しみなのだろう。
二人に挟まれる彼女も、カメラのメモリーカードを交換しつつも、
菊池と言う1読者の感想に、期待を籠めているようだ。
後悔先に立たず。後の祭。
やはり、知らないと言うべきだった。
「・・・・不登校とフリースクールの特集は興味深かった、
前編だけ読んで乗艦してしまって、後編が読めないのが残念だな」
それでも無知なふりをできない俺の矜持が、
まさか、
彼女との距離を更に詰める結果になるとは。
海に似合わぬ白い頬が、菊池の一言を機にみるみる紅潮した。
大きな黒い瞳が、見開かれる。
カメラにメモリーカードを装填する手が、一瞬止まった。
「あの記事!中学生に取材したの私なんです!文化誌で初めての一人取材で・・・・
嬉しい、読者の感想見る前に艦、乗っちゃって、正直不安で、」
紅潮させた頬と、高ぶった感情に照れるように、
彼女は細く小さな手で、柔らかそうな前髪を梳いた。
人の命を守るという仕事に就く自分たちにとって、
守った命が元気に暮らしているのを見る事が、最大の醍醐味であるとするならば、
雑誌を作りそれを世に広めるという彼女の記者という仕事は、
きっと読者の感想を聞く事が、醍醐味なのだろう。
彼女は喜び冷め遣らず、細く白い両手の中でデジタルカメラを転がした。
コーヒーカップを空にした角松が、立ち上がった。
「さて、そろそろ俺は片桐さんの取材を受けてくるよ」
「何だ、この中で単独取材受けないの俺だけかよ、ずるいなあ」
言って尾栗も、煙草を消して席を立つ。
そう言えば俺は今夜、斜向いに座る彼女から、
何とか言う雑誌の、インタビュー依頼を受けているのを思い出した。
今日の分の仕事は全て終えている。
インタビューを受けること自体には、何の支障も無い。
だが。
「・・・・では、私も昨日の依頼をお願いしますね、菊池さんの部屋でも良いですか?」
柔らかく微笑む彼女の問いに、何故かふいに言葉に詰まった。
角松、尾栗を交えても何を話せば良いか判らず、
殊更無口になってしまうのに、2人きりで密室で、この上何を話せば良いのか。
「気張って答えて来いよ、色男!」
食堂を出る間際に言った、康平の一言が気にかかった。
出港2日目、フタマルサンマル。
海は凪。
南十字星が、海面際に光る。
〜後書きヨウソロー!〜
こんな短いのに何かすげー悩みに悩んで書いた、難産。陣痛から24時間経過したよ。イタタタタ。脳が。
でも、よっし!やっとポップでキッチュでキャッチーで、頭の悪い文章に火ィ入ってきました!
あれ?前作も前々作も前々々作も、頭は総じて悪かったじゃん?ああそうね、認めているよ。うん。
勝手に書いちゃったけどブルームと大衆月報という名の雑誌が無い事を祈る。もう神頼みしか無い。
ブルームはね、フィガロとかエルとか、そっち系。大衆月報はアエラとか、そっち系。
一様にしてハイソで偏差値の臭いがプンプンする雑誌だ!憎い!僻むよ!この害虫は!
文章中で菊池一人称にする段落と三人称にする段落とで、尾栗&角松を、康平&洋介と呼ばせるかに、
すげえ最後の最後まで迷って、結局苗字呼びに合わせちゃったよ。チッ!イチャイチャ感出ねーじゃん!
菊池は童貞じゃないけど女慣れしてないとイイ。