君はマーメイド!

act.10〜矛盾クラゲ〜





草加を交えての会議が終わり、課員たちは、各々の寝室に戻って行く。
その中で、寝室とは別方向に歩き出す洋介に、どこへ行くのかと聞くと、
やはり、予想通りの回答が返ってきた。

「森三尉に手を合わせて来る、雅行、お前は?」

俺は既に、会議の前に手を合わせていたので、
日誌作業も残っているし、洋介を見送って、仕官寝室の方向へと足を進めた。

その途中の廊下で、片桐とすれ違い、呼び止められたのだ。

「菊池さん、」

「何だ」

呼ばれて片桐を振り返ると、あんな事件の後だから、片桐はいつもの前向きな笑顔を見せず、
しかし悲しいと言う表情でも無く、なぜか、申し訳なさそうな顔を俺に向けていた。

「すみませんがね、ウチのに、ガツンと言って貰えませんか」

ウチの、という言い方に、二人の記者の間の、絆を感じた。
この昭和の世界で、みらいの科員は200余名だが、記者は2名しかいない。

「ガツンと・・・・?何だ、何かあったのか」

「いえね、あいつちょっと、今回の事、相当参ってるみたいで」

こっちの世界に来ちゃってから、あいつ、殆ど寝てないみたいなんですよ。
飯もろくに食ってなくて、常にピリピリってね、不安定で。
まあ仕方ないですけどね、こんな神隠しみたいな目に遭っちゃあ。

「それで、今回の事件でしょう、とどめになっちゃったみたいでね」

ずっと泣き通しなんですよ、いや、プロのくせに、メンタル甘いんですけどね。
でもあいつ、俺みたいにイラクだの北朝鮮だのチェチェンだの、行ったわけじゃないし、
何より若いからね、悲しさ受け流す方法、知らないんですよ、まだ。

「それでも、ちゃんと寝て、飯も食わないと、体が保たないでしょ」

いくら気丈に見せても、体力も精神力も、艦に乗り慣れてる人たちと比べちゃったら、
やっぱり劣りますからね、倒れでもしたら、それこそご迷惑ってもんですし。
それで、ちょっと小耳に挟んだんですけどね、

そう言うと片桐は、申し訳無さそうな顔から一変、狡そうな顔になった。
防衛に生きる、自衛官とは違い、
企業に生きる、ベテランカメラマンの狡猾な表情は、
無意識のうちに嫌な予感を抱かせる。根拠は無いが。

不審そうな目で見る俺を無視して、片桐は言った。

「菊池砲雷長の一喝は、対艦ミサイルより強力だってね!」

ウチのに、ちゃんと飯食って、ちゃんと寝るよう、
ガツンとミサイル、撃ってくれませんか!

全く、俺の予感はよく当たる。但し、嫌な予感に関してのみ。




乗員の不調を知ってしまって、知らないふりはできない。
俺が断れないのを解った上で、片桐は俺に声をかけたのだろう。
こういう事は、洋介や康平に話せば良いのに。
誰だ。俺の一喝が怖いだなんて噂したのは。

士官扱いである2人の記者は、やはり士官居住区で生活していて、
満員より、かなり乗員の少ないみらいでは、
俺を含む士官は、2人部屋を1人で使っており、それは彼らも同様だった。
康平の部屋を挟んで隣、片桐は自分の部屋に戻りながら、
うさん臭い笑顔で、俺に謝辞を繰返した。

片桐の報告と頼みを、無視するわけにもいかない、
しかし、科員の誰かが噂したように、さんに俺の一喝を下すわけにもいかない。
俺は過去、大の大人を説教で泣かせた事がある。
あの康平を、1週間も落ち込ませた事があるし、
あの洋介を、2時間土下座させた事もある。

片桐の真意は、本当はこういう一喝を期待していないのは解っている。
結局はさんを、少しでも元気付けて、内面の安定を取り戻して欲しいのだろう。
それなら、洋介や康平に言えば良いのに。
俺にこういう期待をするとは、片桐も見る目が甘い。

俺が一体、何をどうすれば良いのか。

部屋に戻る際の最後に、片桐が言った言葉を思い出した。

森三尉の遺影、あいつが直前に撮ったものなんですよ、良い写真だったでしょ、
うわ、何か俺、親バカみたいですね、いやだいやだ。

写真を褒めるというのは、良い口実になるかも知れない。




部屋のドアをノックしても、中から許可の声は聞こえず、
少し逡巡したが、仕方なく許可を得ないまま、俺はドアを開けた。

開けてすぐ、小さな音が、耳に入る。
圧し殺した嗚咽と、鼻をすする音。
涙の、音だ。

さんは、ベッドに座って、何枚かの写真を握っていた。
何の写真かは、容易に想像がついた。
俺が部屋に入っても、何も言わず、視線も向けず、
ただ、写真を握って、下を向いて涙を流している。

写真を褒めるなんて口実を、使えない状況である事は、明らかだった。
俺は不恰好にも、その場に立ち尽くし、無言になってしまう。
その無言に、さんの方が先に口を開いた。

「・・・・片桐さん、すみません、もう、寝ようと、思ってるんですけど」

下を向いて、涙を落としながら、途切れ途切れに紡いだ言葉は、
入室してきた俺を、片桐だと思っているようで、
俺はこれで、ますます発言し難くなってしまった。
やはり俺ではお門違いだったのか、片桐を呼んできた方が良いだろうか。
場違いを申告する前に、またしてもさんは、
ここには居ない片桐に向かって、嗚咽の混じった言葉を続ける。

「気持ちが、上手く、整理できなくて、止まらなくて、」

主語が無いが、止まらないのは、きっと涙の事だろう。
拭いきれない透明の雫が、写真の上に落ちる。

「ごめんなさい、わたし、ど素人だ、自己管理も、できないなんて、」

その時、握った写真の1枚が、滑り落ちて、
タイミング悪く、俺の足元に転がった。
俺はまだ、何を言ったら良いのか、解らないままなのに。

しかし、
俺の手は勝手に、落ちた写真を拾い上げ、
俺の口は勝手に、訳の解らぬ言葉を紡いだ。




「森三尉の、良い写真だった、少なくとも、素人じゃない」




俺は何と、気が利かない。
声帯の赴くままに発してしまった、場違いな言葉、
それは、先程没にしたはずの、口実だった。




しかし、ともあれ片桐だと勘違いされていた事は訂正できたらしく、
さんは、そこで漸く顔を上げ、俺に視線を向けた。
大きな瞳が涙で潤んで、長い睫毛が湿っている。
嗚咽に上気したせいか、頬が少しだけ赤く、数本、涙の道がついている。

「・・・・菊池、さん、」

確認するように、細く呟いた名と、合わさった視線に、
俺は何故か、自分の鼓動が、跳ね上がるのを感じた。

「いや、すまん、返事が無かったが、勝手に入ってしまった」

一瞬高まった鼓動に、後ろめたさを思ってか、
続けた言葉は、元気付ける本来の目的より先に、謝罪を出してしまった。
拾い上げた1枚の写真は、海鳥に搭乗しピースサインを向ける森三尉だった。
それを手渡すと、さんはありがとうと言いながら、ベッドの端に座り直す。

俺の座る場所を作ったのだ。
更に、鼓動は上昇した。

それを思うのは失礼だし、不謹慎だとは、重々解っているけれど、
彼女は従軍する記者であり、俺はそのための被写体の1部に過ぎないけれど。
椅子にはカメラと付属品らしい機械が置かれていて、
それを勝手に退かせて座るわけにもいかない。

上がった鼓動を悟られないようにしながら、俺は隣に腰を下ろす。
重みで軋むベッドの音が、異常に大きく感じられ、
艦が揺れない事を祈った。少しの高波で、きっと体が触れ合うだろうから。

「・・・・もう、眠らなきゃいけないのは、解ってるんですけど、」

かなり近くなった位置から、さんの声が届く。
そこで漸く俺は、片桐に頼まれていた本来の目的、
一喝、もとい、元気付ける事を思い出した。

「不眠は体を衰弱させるぞ、食事も、しっかり摂らないと」

保健の教科書のようで、何の個性も無い一言をかけてしまった。

「ごめん、なさい、何か、気持ちが、落ち着かなくて、」

嗚咽で途切れた声に合わせて、大きな瞳はまた雫を溢れさせる。

泣いている女の子の扱い方なんて、解らない。
元気付けるにも、何を言って良いのか解らない。
初めての洋上生活。
たった2人しかいない記者という仲間。
自分が撮影した人物の、死。
同じ艦で生活し、同じく不可解な時間移動を共にしたにも関わらず、
さんの悲しみや不安は、俺には無いものが多すぎる。
俺は洋上生活には慣れているし、
同じ立場の仲間は200余名もいるし、
撮影した人が間も無く亡くなった事も無い。

この小さな肩から溢れる涙を、どう止めれば良いのか。

そこで漸く俺は、その唯一の方法を思い出した。
それは、俺の鼓動に、更なる上昇を強いるものだったが、
いくら考えても、他に方法が思いつかなかったので、仕方なかった。

俺が昔、何度か涙を流したとき。
洋介と康平は。




さん、俺で良ければ、その、寄り掛からないか、少しは楽になるから」




震える心臓を、理性を総動員して押さえつけながら、
少しだけ体を向け、距離を詰めた俺に、
さんは嗚咽収まらぬまま、ゆっくりと小さな体を寄せた。

俺が昔、洋介や康平に同じ事をされたとき、
それほど身長差は無かったから、俺は相手の肩に額を乗せる形になっていたが、
さんはやはり小柄だから、俺の胸に顔を埋める形になった。

小さな体が、左半身に触れ、シャンプーに似た香りが揺れる。
跳ね上がった心臓の音が、まさか聞こえてしまわないだろうか、
静まれ、心臓。
信仰の対象は解らないが、ただ、祈る。

祈りながら、過去に洋介と康平がそうしたように、
緊張で震える指先を奮って、片腕を、その背中に回す。
回した腕の重みのせいか、半身が、さらに密着し、

本当に、抱きしめるような形になってしまった。

濡れた頬が、小さな肩が、柔らかい胸が、細すぎる腰が、
俺に、小動物のようなその体温を伝える。
人の体温を感じるのは久々だと、場違いにも思い出した。
小さな体は温かい。さんも同じように、俺の体温を感じているだろうか。

細い指先が、未だ写真を握り締めたまま、力が入って白くなっている。
余計な事だとは思いながらも、あいた方の手でその小さな拳を包んだ。
俺の骨っぽく、洋介や康平ほどで無いにしろ、海で生きる者らしく、荒れた手の平。
その大きさは倍くらいあるかもしれない。
俺の片手で、小さな両拳は、すっぽりと包み込めてしまった。

抱きしめて、手を握って、しかもベッドに座って。

どうか、俺の鼓動が、緊張が、包み込んだ小さな体に伝わりませんように。
密着するように抱きしめておいて、矛盾した祈りを捧げる。




押し殺した嗚咽は、更に続く。
服の胸元が、さんの流す涙で濡れているのが解った。

「ごめん、なさい、何か、止まらない、」

「良いんだ、泣きたい時は、泣ききってしまえば楽になる」

自分でも驚くほどに、優しい声が出た。
そういえば先日の取材でも、同じような事があった気がする。
どうにも、彼女の前に出ると、自分の声や行動の調節が効かない。
ちょっと肩を貸すつもりが、抱きしめて、手まで握って。

それでも、雫を落とす彼女が、少しでも楽になれるなら。

半身から伝わる温かい温度を感じながら、
時々、大丈夫だ、とか、気にするな、とか、短い言葉をかけて、
時々、震える小さな背中を、柔らかい髪が揺れる頭を撫でて、




どれだけの時間、そうしていただろうか。
ふと気づくと、泣き疲れた体が、意を失って俺の体に寄り掛かり、
小さな拳は、力が抜けその緊張をとかれて、

殆ど眠っていなかったらしいさんは、
俺の胸で、まるで子供のように瞼を閉じていた。

「・・・・この上、俺に、どうしろと、」

呟いても返事はあるはずが無く、
俺の心臓の音だけが、無情に高まっていく。

全身を預けて寄せられた体。
密着して伝わる体温。
まだ雫の乾かない長い睫毛。
シャンプーに似た香り。

そして、薄く開いた、柔らかそうな唇。

唇を、柔らかそうだと思ってしまえば、その時点で、
もう別の事を、連想してしまっている。

この上、俺に、どうしろと。
この連想を、どう、我慢しろと。




俺の理性は、鋼より強いと、自分でも賞賛してやりたい。

泣き疲れて眠ってしまったさんを、横たえて、
寝苦しいだろうから、服のボタンを緩めて、毛布をかけた。
一度だけ、ん、と小さく聞こえた身動きに、
顔ごと視線を逸らして、その連想を無理矢理もみ消した。

部屋を出て、時計を見ると、もう消灯時間はとうに過ぎていた。

彼女の体温が、体から離れないまま、部屋に戻り、ベッドに横になる。
片桐が案じて依頼した事を、果たして俺は上手く出来ただろうか。
今夜彼女は、起床時間まで、熟睡できるだろうか。
明日の朝食を彼女は、しっかりと摂れるだろうか。

不安に思いながら目を閉じると、瞼の裏に、彼女の、
柔らかそうだった唇が、何度も何度も繰返されて。




どうしよう。
今夜は俺が、
眠れない。




    




〜神ならぬ後書きだからだ!〜

そりゃそうだろうよ。このぐだぐだ感。この申し訳無い感。ジャンピン土下座じゃ足りねーな。すみません。

2作続けて草加草加、草加のプッシュで来たので、今度は菊池をプッシング。審判!笛鳴らせ!これイエローもんだよ!
逆ハーは出る杭を打ち、低い杭を引っこ抜く、各馬の足並みを揃える、そのバランスが難しく楽しい

今回ね、途中まで書いた全く別の菊池ストーリーがあった。でも半ばまで書いて、放棄。お前クズだよ!すみません。
没作品を上げてみるのもおもしろいかと思いましたので、→コチラ←に。貧乏人が!いらんもんは捨てろ!すみません。
え?没理由?そんなん解りきってんじゃん!こいつが害虫だからだよ!死ね!今すぐ死ね!すみません。

逆ハーをする際は、各馬のキャラクター差別化のため、各馬に1つか2つずつテーマを決めるようにしているんですが、
今回書いてて気づいたのが、菊池のテーマに不器用、と共に、矛盾、を付け加えても良いかもしんまい。いつ語?死語?

菊池が今回チッスしちゃうと思った人ー挙手ーハイー自ら。いやー今回ギリギリの攻防だった。
菊池の理性の力を借りて、辛勝。もう満身創痍だよ。青息吐息だよ。ボッコボコにやられた。血まみれ
チッス?まだしねーよ!ここでチッスしちまったら菊池だけ5馬身は抜きん出ちまうじゃん!平均よ!社会主義よ!危険なネタだなやめよう。
ネチネチネチネチ、将棋で言うとこのです。各馬ネチネチ1ミリずつ、頭揃えてネチネチです

次回、ワンクッション置いてから、草加。走れ!1枠2番!